「沖縄県」カテゴリーアーカイブ

お城めぐり 浦添城

浦添城は13世紀後半、舜天王時代に造られたグスクで
舜天、英祖、察度の3王朝10代が居城したといわれる。

1609年の慶長の役で薩摩軍の侵攻により焼失。
1945年の沖縄戦で日本軍の陣地となったことから激戦地となり大部分が
破壊されました。

発掘調査に基づき、一部城壁などが復元整備されています。

 

城壁

 

愛國知祖之塔跡

 

ディーグガマ(鍾乳洞が陥没してできた御嶽)

 

伊波普猷の墓

 
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浦添ようどれ入口

 

暗しん御門 加工した岩盤と石積みでできたトンネル状の道路のこと

沖縄戦で天井の岩盤は崩れた。

昭和9年ごろの暗しん御門

 

浦添ようどれ

 

13世紀に造られた英祖王の墓といわれ、1620年に尚寧王により改修。
沖縄戦や採石により浦添ようどれは破壊されました。
2005年に戦前の姿を復元。

向かって右の西室が英祖王陵といわれ、
左の東室に尚寧王と彼の一族が葬られています。

 

 

沖縄戦当時、浦添城跡一帯の丘陵は米軍から「ハクソー・リッジ」、
日本軍から「前田高地」と呼ばれていた。
映画「ハクソー・リッジ」の舞台。

 

展望

天気のいい夜だにはキレイな夜景を楽しめそうです。

 

浦添城:沖縄県浦添市仲間2-53-1 (浦添グスク ようどれ館)

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山田グスクと護佐丸父の墓

国頭郡恩納村にある山田グスク。

中城城や座喜見城を築いた築城の名手 護佐丸が幼少時代を過ごした
グスクとされています。

国道58号の東側に並行して走る標高約95メートルの琉球石灰岩の丘陵上に
築かれた14世紀から15世紀頃の城です。

「琉球三山統一期に活躍する護佐丸や父祖の居城として栄え、
読谷山方面を支配すると共に北山に対するそなえの役目をはたしていたと
考えられます。」(説明板より)

案内図

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Gomeというカフェがあります。その建物の後ろの道から中に入って行きます。

 

それでは登城

 

 

わりと傾斜がキツい

 

ようやく平坦道に出る

 

護佐丸父祖の墓を目指し、さらに歩く

 

けっこうしんどい‥

 

階段を上ります

 

 

護佐丸父祖の墓に到着。南無る。

 

 

墓前からの眺め

 

石垣は当時のものなのか跡から造られたものなのか。

護佐丸が座喜味城を築城の際、山田グスクの石垣を利用したとされています。

 

山田グスク遠景

 

カフェのネコさん

 

山田グスク:沖縄県国頭郡恩納村山田

 

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仲原遺跡

伊計島のほぼ中央にある仲原遺跡は縄文時代の集落跡です。

遺跡一帯はもとはキビ畑で、土地改良事業の事前発掘調査で
竪穴住居跡が発見されました。
これにより不明であった沖縄県の縄文時代晩期(約2500~2000年前)の
ムラの広がりや住居の大きさ、造りなどが具体的に分かってきました。
土器の鉢、壺、石斧や当時の人が食べ残した獣、魚骨類、貝殻などの遺物も出土。遺跡は土地改良地区内にありましたが、住民の協力により保護され、
また学術上価値が極めて高いことから昭和61年国指定史跡となりました。
(説明板より)

遺跡の入口には石斧のオブジェ?モニュメント?があります。

はじめ人間ギャートルズでみたやつだ

 

復元された住居

 

 

 

 

 

説明板には「どうぞゆっくりと散策し縄文時代の集落をご満喫ください♡」
との文で締められていたのですが、遺跡周囲には「ハブ注意」との看板があり、
ゆっくりとご満喫することは無理だった。
草むらでカサカサって音がしたりなんかして‥。なかなかスリリングな遺跡です。

伊計大橋からの眺め

 

仲原遺跡:沖縄県うるま市与那城町伊計1972