伊能忠敬ゆかりの地をめぐる② 富岡八幡宮・住居跡地

かれこれ十数年ぶりに門前仲町の駅に降り立った。
目指すは忠敬が測量に出発する前に参拝し、無事を祈願した富岡八幡宮。

 

 

鳥居をくぐった先に伊能忠敬の銅像があります。

りりしいお姿。
右手に携えるは必須アイテムの彎窠羅針

ひとしきり写真を撮り、参拝へ。

 

お参り後におみくじを引く。安定の吉。

 

本殿への階段横にある一対の狛犬

享保十二年との銘あり。

享保12年は西暦だと1727年です。
忠敬がここ深川に移り住んだのが1795年(寛政7年)。
忠敬がここに居を構えたときにはすでにこの狛犬は鎮座していたということになる。
ということは‥

忠敬氏も参拝時にこの狛犬を目にしていたかもしれない

と狛犬を前にひとり胸熱になる散歩人。
アツい気持ちを胸に次の目的地、伊能忠敬住居跡へ。

 

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富岡八幡宮から徒歩約10分、門前仲町1丁目 葛西橋通りに住居跡碑があります。

 

居を構えた当時は黒江町という町名でした。枠で囲ったところ。

(明治四十年東京市15区の地図より)

 

富岡八幡宮・伊能忠敬銅像:江東区富岡1-20-3、1-23-11

伊能忠敬住居跡:江東区門前仲町1-18

 

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もう少しある行きたい気分だったので、永代通りを日本橋・東京駅方面に
向かって歩きました。

渋沢栄一宅跡(江東区永代2丁目37)

渋沢栄一は武蔵国榛沢郡血洗島村(現 埼玉県深谷市)に生まれ、
日本鉄道(現JR 東日本)東京瓦斯(現東京ガス)、
第一国立銀行(現みずほ銀行)などなど500余りに及ぶ会社の設立に関わり
日本の産業界の発展に多大なる貢献をした明治・大正期の実業家です。

こちらの宅跡は江東区登録史跡です。

 

佐久間象山砲術塾跡(江東区永代1丁目15-2)

 

永代橋から夕日に照らされた東京スカイツリーが見えました。

 

隅田川を走る水上バス。船のタイプはアワータウンかな?

 

新川1丁目交差点で信号待ちをしているとき、
ビルに挟まれた古い建物に目がとまった。
どうしようもなく気になって行ってみると和菓子屋さんでした。

和菓子處 田川堂 (中央区新川1-2-7)

何か買おうと思い店内へ入る。

年代を感じさせる机とイスなどなど。
レトロ感満載な店内に血湧き肉躍り、ついついお店の方に話しかけてしまった。

創業120年(140年だったかな‥忘れた‥)
元は日本橋に店を構えていたけれど、関東大震災などで現在の地で営業。
建物は戦後からのもだそうです。

ごま大福を購入。ちょっとつぶれてしまった。

あんこはキメが細かくなめらかで、甘味もきつくなくとても食べやすかったです。美味。

東京駅に着いた頃にはすっかり日が暮れてしまっていた。
久しぶりに楽しいお散歩でした。

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